夢美日記

夢美が通ってる施設の所長さんと話をして、就労Bは夢美にはまだ難しいとの結論に達した。
その日のうちに市役所の福祉課に電話して、生活介護での申請をしたいと伝えた。すると、手続きとして先ず、医師の診断書が必要で、それを元に市役所で判定会議が開かれるらしい。さらに児童相談所への通告も必要とのこと。早くても数か月かかることを覚悟するように言われた。
学校を退学して三ヶ月たった今ごろ、こんな説明は初めて聞いた。私が聞き逃していた?三ヶ月前にこの説明をしてほしかった。
さんざん待ったあげく、判定会議で生活介護には認定されませんという結果になる可能性もある。怖くてそういう質問はできなかった。だって認定されなかったら、進む道が閉ざされる。
わずかでも希望をもって待とう。2ヶ月、三ヶ月、半年?ただ待つしかないのだから。

夢美日記

日中一時支援の施設に通い始めて二週間が経った。通所している中に、年の近い女の子がいるらしくて、その子のおかげで毎日通えているらしい。お迎えの時間が遅いと不満を言われる毎日だが、毎朝ちゃんと起きて、施設に通ってくれていることはありがたい。私のために。
時々行きたくないなあ~と言うことがあっても、ちゃんと行ってくれるので、聞き流すことにした。でも通えるのは、たったの14日。その日数を過ぎたらまた引きこもりになるのかな。あと10日くらいだけど、難しい。

夢美日記

5月の末、施設から利用許可の連絡があった。朗報である。しかし市役所の利用許可が届かなければ施設との契約はできない。市役所に電話したら、本日発送するので、明日か明後日には届くとのこと。しかし、窓口の担当者が、あくまでも日中一時支援の手続きだけなので、生活介護については、再度手続きが必要とのこと。そうか、これですべてのサービスを利用できる訳ではかったんだと、思い出した。生活介護でいいのか、やはり就労Bでは難しいのか、親の欲目か、迷っていた。夢美にとってもしかしたら他に手だてがあるのでは、とか。でもこの2か月を思うと、どこでもいいから居場所がほしい。そして相談する相手がほしい。

夢美日記

日中一時支援の利用2日め、一時間ほど過ぎて10時くらいに連れていった。朝から行くの行かないのの問答は以前と同じ。これから毎日またこんな朝が繰り返されるのか。でも学校ではないのだから、休んでいいんだ。と思い至ったところで、「ひかりに行かないの?」と夢美。行きたいんだね、と意思を確認し家を出た。もしかしたら、私が思っている以上に本人は楽しんでるのかしら?
まだまだ二日め、カメのよう少しづつ前に進めれば、それでいい。

夢美日記

5月15日、夢美を連れて市役所の障害福祉課に足を運んだ。約束の10時前には着いて、受付の椅子に腰かけて待ったが、15分過ぎても誰も声をかけない。待つ場所を間違えてかも、と思い直して、目の前で忙しそうにしている職員に尋ねてみた。「わかりました、すぐ担当を呼びますね」と、ほどなくして担当の方がみえたが、待たせたことに何の詫びもなかった。忙しいのが当たり前だからかも。
相談窓口のはずが、事務的な手続きの説明をして書類に署名捺印したら終了。手続きが終了するのに2週間くらいかかるとの説明。混みあってるから仕方がない。そう言い聞かせて役所を後にした。
夢美の進路に対する漠然とした不安、心配、絶望。

夢美日記

今日6月3日、特別支援学校を退学した夢美が、退学して初めて家以外の場所で一日を過ごした。役所の手続きがやっと出来て、施設に通い始めた。一月のうちたった14日しか通えない制限付きの日中一時支援の利用だが、家以外の場所で過ごした今日一日は大きい。小さな小さな一歩だ。私にとって。
明日は行きたくないと言ってる。最初からそんなにうまくいくわけがない。焦らない。まだ始まったばかり。

夢美日記

夢美が着ていた特別支援学校の制服や体操服、作業服などを、まとめて学校に持っていきました。在校生の着替えに役立ててくださいと。
高等部の先生に会いたくなかったので、わざわざ事務室を訪ねたのですが、「先生をお呼びします」などと言われて、慌てて学校を飛び出してきました。なぜこんな惨めな気持ちになるのか、悔しくて悲しくて、帰り道涙が止まりませんでした。